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SINRA 2015年 1月号 復刊3号

SINRA 2015 年 1 月号 復刊3号
定価 : 1,200 円(税込)
発売日 : 2014 年11月22日

【巻頭グラビア】
森羅万象「繭の輝き」 田中弘子

【森羅万象エッセイ】
角幡唯介 子供は山?
Yae  半農半歌手のスローライフ
堀江敏幸 自然のリズムを教える風

【SINRA 巻頭対談 Vol.2】
星野佳路×玉村豊男
里山からの反撃

【特集】
里山の贈りもの シルクが紡ぐ日本の文化日本の近代化を支えた養蚕業を知る
里山ビジネスが日本を救う 玉村豊男
紀元前から連綿と続く「絹」の物語
世界遺産 富岡製糸場の歩き方
上州シルクロードをゆく 芦原伸
幻の黄金の繭 大村次郷
「kibiso」ブランドで絹の復権へ自然を紡ぐ文化 里山ブランドを探す
なぜ、『里山資本主義は売れたのか』 藻谷浩介
SINRA SELECTION 30 里山から始まる物語雪が楽しめる 里山リゾートに行く
リゾナーレトマム/青森屋/界 アルプス
界 津軽/界 川治/界 日光/界 阿蘇
二期倶楽部/フラノ寶亭留

【SINRA Photo Gallery】
特別天然記念物 コウノトリ 藤井克己

【SINRA STYLE】
①Walking
②Gardening

【森羅万象新聞】
PEOPLE “おらが村”のスーパーCEO
TOPICS 日本全国“注目の話題”
BOOKS 『愚者が訊く』倉本 聰 ほか
REPORTAGE 「横乗り文化」と変わりゆくライフスタイル
DATA 数字で見る森羅万象
WORKSHOP シンラが行く
SINRA CLUB
DICTIONARY SINRA を読み解く3つのキーワード

【SINRA 三陸復興支援レポート】
JATA×青森県八戸市・階上町×環境省
「JATAの道プロジェクト」に参加しました!

【連載】
玉村豊男 編訳解説 ブリア= サヴァランの『美味礼讃』
松家仁之 眼鏡に手袋、スノーシュー 「レントゲン技師のつぶやき」
横森理香 オーバー50 のSINRA 的生活入門 「パワースポット行脚は自分探しの旅」

【里山生活、始めました】
全国田舎暮らし案内
里山の暮らし1 鳥取県
里山の暮らし2 山梨県
里山の暮らし2 山形県

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次号予告

[ 取材ウラ話 ]

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イベントにひとりで出席しました。仕事の合間にひと休み!

イカの頭巾をかぶっているのはダレ?

ゆるキャラブームは、まだまだ続きそうです。つい先日も今年度のグランプリは、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」に決定したと報道されていました。取材先で出会ったのは、「いかずきんズファミリー」の双子の妹“こうみちゃん”です。彼女は八戸市の蕪島(かぶしま)生まれで、イカの頭巾をかぶったウミネコの子ども。蕪島はウミネコの繁殖地として、八戸市はイカの漁獲量日本一で知られています。その二つを生かして、いかずきんが誕生したんですね。ちなみにお父さんは“かぶさん”、お母さんは“しまちゃん”、 双子のお兄ちゃんが“こかぶくん”です。もちろん、みんな頭巾をかぶっています。けれど、名前のインパクトが強すぎて、ウミネコだと分からないのがちょっとだけ残念かも。(矢島)

075-B_PA161894東白川村のFSCの森。FSC(Forest Stewardship Council、森林管理協議会)とは、木材の流通や加工のプロセスを認証する国際機関。日本は35カ所が登録されている

里山の“胎動”

特集内で繰り返し「里山の“胎動”」という言葉を繰り返し使いました。養蚕業の衰退が里山荒廃の直接の要因とはいえませんが、里山が自立不能になったのは、地域産業が消滅したことにあるのはまちがいありません。取材した東白川村では、植林されたのはスギではなく、ヒノキ(それもブランド材となる東濃ヒノキ)を植林されていたことが功を奏し、地域を支える産業へと発展しました。今号「里山をめぐる物語」はただの商品カタログではありません。すべて、地産地消、地域還元を念頭においた、里山発信の産業として独り立ちできうる商品です。いずれも国内で生産・加工を行っているにもかかわらず、輸入量産品に比べ値が張るのは、腑に落ちませんね……(山田)

6I5A2512食堂「富士屋」でクリームあんみつを食べる元女工・野尻さん

青春時代の富岡製糸場

富岡市の取材中、意外な出会いが。お腹が空いてカメラマンと2人でふと入った近所の老舗食堂「富士屋」で、なんと富岡製糸場の元女工・野尻照子さん(81)にお会いしました。昭和16年(片倉工業時代)に会社の寮に入り製糸場で働いていた野尻さん曰く、当時の女工さんたちは「カタクラ」や「カタクラの人」と呼ばれていて、「女工」や「工女」といった言葉は一般的ではありませんでした。市内で最も賑わっていた「銀座通り」には映画館が4軒もあり、終業後は同僚たちと映画を観たり、「富士屋」のクリームあんみつを食べたりして過ごしたそうです。終戦後はダンスが流行り、クリスマスには富岡製糸場内の大きな食堂を照明が照らし、職員たちとワルツやタンゴを踊ったのだとか。ガイドマップには載っていない、もうひとつの富岡製糸場。それは野尻さんが青春時代を過ごした、”思い出の場所”でした。(諫山)

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